企業はなぜ変われないのか。
この問いに対して、多くの人は「保守的だから」「意思決定が遅いから」「大企業病だから」と答える。もちろん、それらも一因ではある。しかし、実務の現場に降りてみると、もっと生々しい理由が見えてくる。それは、すでに多くのものを投資してしまっているからである。
既存システムには、莫大な予算が投じられている。
要件定義に時間をかけ、設計に人を張りつけ、開発ベンダーを巻き込み、社内調整を重ね、ようやく動き始めた案件もある。そこには、金額だけでなく、社内政治、関係者のメンツ、契約上の制約、年度計画との整合など、さまざまな“後戻りしにくさ”が積み上がっている。
だから企業は、薄々気づいていても言えない。
「このやり方、もう古いのではないか」
「もっと軽く速く作れるのではないか」
「このシステム、本当にここまで重くする必要があったのか」
そう思っても、今さら言い出せないのである。
だが、ここで経営として必要なのは感情ではない。
必要なのは、損切りの視点である。
損切りという言葉は、金融や投資の世界でよく使われる。将来の損失拡大を防ぐために、含み損のある状態でも一度見切る判断だ。これは感情的には非常に難しい。すでに損をしている時ほど、「ここから戻るかもしれない」「ここまで耐えたのだから、もう少し様子を見よう」と考えてしまう。だが、その判断がさらに損失を大きくする。
システム開発も同じである。
企業が本当に問うべきなのは、「ここまでいくら投資したか」ではない。
問うべきは、この先もこのやり方に投資し続ける価値があるのかである。
ところが、日本企業は損切りが苦手だ。
理由は単純で、損切りが“過去の失敗を認めること”に見えやすいからである。
誰がそのプロジェクトを承認したのか。
誰がそのベンダーを選んだのか。
誰がその設計思想を採用したのか。
こうした責任論に話が飛びやすく、未来の合理性よりも過去の正当化が優先される。結果として、企業は最もやってはいけないことをする。つまり、過去の判断を守るために未来の選択肢を捨てるのである。
ここで誤解のないように言えば、SAPやSalesforceのような巨大基盤を全部否定したいわけではない。一定の業務や企業規模によっては、明確な合理性があるし、すでに深く組み込まれている資産として活用すべき場面もある。また、DifyやMCPのような概念や仕組みにも、過渡期の整理や接続の意味はある。問題なのは、それらがあること自体ではない。問題は、それらを前提にするあまり、本来もっと軽く速く柔軟にできる領域まで重たい作り方に引きずられてしまうことである。
企業の中には、業務の複雑さではなく、過去の妥協の積み重ねでシステムが複雑化しているケースが非常に多い。歴代の担当者がその場しのぎで追加した機能、ベンダーごとに異なる設計思想、部門間調整の産物として増えた例外処理。こうしたものが何年も蓄積されると、やがて誰も全体像を説明できなくなる。すると「複雑だから慎重にやらないと危ない」という空気だけが残り、さらに重たい開発が繰り返される。
しかし、本当に問うべきはそこではない。
その複雑さは、事業上必要な複雑さなのか。
それとも、過去の妥協の結果なのか。
この問いを避けてはいけない。
また、工程についても同じことが言える。
多くの企業では、承認フローやレビュー工程が膨れ上がっている。表向きは品質担保や内部統制のためだが、実態を見ると、責任回避や調整コストの転嫁のために残っている工程も少なくない。つまり、作るために必要なのではなく、誰も責任を取りたくないから存在している工程がある。
AI時代のバイブコーディングにおいて、こうした工程は一気に逆機能になる。なぜなら、高速試作と高速修正こそが価値なのに、そのたびに重い承認を挟めば、せっかくの速度が失われるからだ。しかも、その工程を維持している人ほど、「ガバナンスのため」と言って自らの存在意義を正当化しやすい。ここにも企業変革の難しさがある。
だからこそ必要なのは、改善ではなく棚卸しである。
そして棚卸しの先には、必ず損切りの判断が出てくる。
たとえば、次の三つの観点で見直すとよい。
第一に、そのシステムや機能は、本当に今の形で存在する必要があるのか。
第二に、その工程や体制は、価値を生んでいるのか、それとも安心感を演出しているだけなのか。
第三に、その開発思想は、これからの変化速度に耐えられるのか。
この問いに真正面から答えると、多くの企業で出てくる結論は厳しい。
「少し改善すればよい」では済まない。
「一部は捨てるしかない」
「今までの前提を崩さないと未来に繋がらない」
そんな答えになるはずだ。
もちろん、捨てることには痛みがある。これまで積み上げてきた資料、体制、契約、評価制度、組織内の権力構造まで揺らぐことがある。だが、その痛みを避けて延命に走るほど、後で払う代償は大きくなる。
活版印刷が主流から退いていった時も、最初は抵抗があっただろう。職人技の価値は明らかにあったし、美しさもあった。しかし産業全体としては、変化を受け入れるしかなかった。いまのシステム開発も同じである。従来型の職人開発の価値を認めたうえで、それでも全体最適ではシフトすべきだという結論を出さなければならない。
企業がいまやるべきことは、「今あるものを全部壊して全部作り直す」ことではない。
そうではなく、何を残し、何を切り離し、何を新しい前提で作り直すかを見極めることである。
この見極めには、勇気よりも知性が要る。
感情論ではなく、構造で見る力が要る。
過去の投資額に引っ張られず、未来の競争力から逆算する視点が要る。
そして何より、損切りを敗北と捉えないことが重要だ。
損切りとは、今までの全否定ではない。
それは、次の競争に参加するための最低条件である。
もし企業がここで見切れないなら、見切れないこと自体が新しい損失になる。
開発コストは下がらず、スピードは遅く、変化に対応できず、現場は疲弊し、若い人材は離れていく。これでは、いずれ競争の土俵に立てなくなる。
中途半端な延命では、競争力は取り戻せない。
必要なのは、改善案ではなく再構成案である。
そして再構成の出発点にあるのが、損切りという冷静な意思決定なのだ。